北方領土は、日本とロシアの間で長年にわたって問題となっている地域です。
「北方領土はどこにあるのか」「なぜロシアが実効支配しているのか」「日本はなぜ返還を求めているのか」など、ニュースで耳にする機会は多くても、その歴史的経緯まで理解するのは簡単ではありません。
この記事では、北方領土を構成する島々から、日本とロシアの主張、第二次世界大戦前後の歴史、平和条約交渉まで、北方領土問題の基本をわかりやすく解説します。
北方領土とは
北方領土とは、北海道の北東に位置する次の4地域の総称です。
- 択捉島(えとろふとう)
- 国後島(くなしりとう)
- 色丹島(しこたんとう)
- 歯舞群島(はぼまいぐんとう)
一般に「北方四島」とも呼ばれます。
日本政府は、北方四島について日本が主権を有する島々であり、日本固有の領土であるとの立場をとっています。
一方、現在はロシアが北方四島を実効支配しています。この領土問題が解決していないことが、第二次世界大戦後、日本とソ連、そして現在のロシアとの間で平和条約が締結されていない重要な背景となっています。
北方領土はどこにある?
北方領土は北海道本島の北東側に位置しています。
なかでも歯舞群島は北海道の根室半島に非常に近く、歯舞群島の一つである貝殻島は納沙布岬の沖合にあります。
国後島は北海道の知床半島などからも望むことができる位置にあり、その北東に択捉島があります。色丹島は国後島や歯舞群島の東側に位置しています。
北方領土という言葉から日本から遠く離れた地域を想像することもありますが、実際には北海道に隣接した島々です。
北方領土問題はなぜ発生したのか
北方領土問題を理解するためには、日本とロシアの国境がどのように変化してきたのかを確認する必要があります。
1855年の日魯通好条約
1855年、日本とロシアは日魯通好条約を締結しました。「日露和親条約」と呼ばれることもあります。
この条約によって、日本とロシアの国境は択捉島とウルップ島の間に定められました。
択捉島より南側は日本、ウルップ島より北側はロシアという境界が確認されたことになります。
日本政府は、この条約によって択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島が日本領であることが確認されたと説明しています。
1875年の樺太千島交換条約
1875年、日本とロシアは樺太千島交換条約を締結しました。
この条約によって、日本は樺太に対する権利を放棄する一方、ロシアからシュムシュ島からウルップ島までの千島列島18島を譲り受けました。
ここで重要なのは、日本政府が北方四島について、この交換によって日本領となった千島列島とは区別していることです。
日本政府は、北方四島について、それ以前から日本の領土であり、樺太千島交換条約によって取得した地域ではないとの立場をとっています。
第二次世界大戦とソ連による占領
現在につながる北方領土問題が発生したのは、第二次世界大戦末期です。
1945年8月9日、ソ連は日本に対して参戦しました。
日本がポツダム宣言を受諾して降伏の意思を表明した後もソ連軍は進攻を続け、1945年8月28日から9月5日までの間に北方四島を占領しました。
その後、北方四島はソ連の実効支配下に置かれました。
ソ連崩壊後の1991年以降は、ロシアが北方四島を実効支配しています。
サンフランシスコ平和条約と北方領土
北方領土問題を理解するうえで重要なのが、1951年に署名されたサンフランシスコ平和条約です。
この条約で日本は「千島列島」に対するすべての権利、権原および請求権を放棄しました。
ここで問題になるのが、北方四島と条約上の「千島列島」との関係です。
日本政府は、歯舞群島と色丹島については千島列島に含まれないとしており、また択捉島と国後島についても、日本がサンフランシスコ平和条約で放棄した「千島列島」には含まれないとの立場をとっています。
この点は北方領土問題をめぐる重要な論点の一つです。
1956年の日ソ共同宣言
第二次世界大戦後、日本とソ連は国交正常化に向けた交渉を行いました。
その結果、1956年に日ソ共同宣言が署名され、両国間の戦争状態が終了し、外交関係が回復しました。
しかし、領土問題について全面的な合意には至りませんでした。
日ソ共同宣言では、ソ連が歯舞群島と色丹島を日本へ引き渡すことに同意しました。ただし、その引き渡しは日本とソ連との間で平和条約が締結された後に行われることとされています。
一方、国後島と択捉島については解決しませんでした。
そのため、日ソ共同宣言後も平和条約締結に向けた交渉が続けられることになりました。
日本政府の北方領土に対する立場
日本政府は、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島からなる北方四島について、日本固有の領土であるとの立場をとっています。
そして現在のロシアによる北方四島の占拠について、法的根拠のない「不法占拠」であるとしています。
日本政府の基本方針は、北方四島の帰属の問題を解決し、ロシアとの間で平和条約を締結することです。
したがって、日本政府が求めているのは単なる経済協力や交流の拡大ではなく、北方四島の帰属をめぐる問題そのものの解決です。
ロシア側の立場
ロシアは北方四島を自国領として実効支配しています。
ロシア側は第二次世界大戦の結果として南クリル諸島に対する主権を得たとの立場を示しており、日本政府の立場とは根本的に異なります。
つまり北方領土問題では、単に島をどちらが管理しているかという問題だけでなく、第二次世界大戦の結果や戦後処理をどのように評価するのかについても、日本とロシアの認識に大きな隔たりがあります。
なお、「北方領土」は日本側で使われる名称であり、ロシアでは国後島、択捉島、色丹島、歯舞群島に相当する地域を「南クリル」と位置づけています。
なぜ日本とロシアの間に平和条約がないのか
日本とソ連は1956年の日ソ共同宣言によって戦争状態を終了させ、国交を回復しました。
そのため、日本とロシアが現在も「戦争状態」にあるわけではありません。
一方で、領土問題が解決しなかったことなどから、第二次世界大戦後の平和条約は締結されていません。
日本政府は北方四島の帰属の問題を解決したうえで平和条約を締結することを基本方針としています。
このため、北方領土問題と日露平和条約交渉は密接に結び付いています。
2022年以降、交渉はさらに厳しい状況に
北方領土問題をめぐって日本とロシアは長年交渉を続けてきましたが、2022年のロシアによるウクライナ侵略を受け、状況は大きく変化しました。
日本がロシアに対する制裁措置を実施する中、ロシア政府は2022年3月、日本との平和条約交渉を継続しないことなどを発表しました。
さらに、北方四島をめぐって行われてきた四島交流や自由訪問などにも影響が生じています。
日本政府は現在も、北方領土問題を解決し平和条約を締結するとの方針を維持していますが、日露関係は厳しい状況にあり、問題解決への道筋は見通しにくい状態が続いています。
北方四島には日本人が暮らしていた
ソ連軍が北方四島を占領する以前、島々には日本人が暮らしていました。
漁業を中心とした産業が営まれ、学校や郵便局なども存在し、地域社会が形成されていました。
ソ連による占領後、島に住んでいた日本人は最終的に島を離れることになりました。
そのため北方領土問題は国家間の領土問題であるだけでなく、故郷を失った元島民とその家族に関わる問題でもあります。
元島民の高齢化が進んでいることから、墓参をはじめとする北方四島への訪問事業の再開も重要な課題となっています。
「北方領土の日」は2月7日
日本では毎年2月7日が「北方領土の日」と定められています。
2月7日となったのは、1855年2月7日に日魯通好条約が調印され、日本とロシアの国境が択捉島とウルップ島の間に確認されたことに由来します。
北方領土問題への国民の関心と理解を深め、返還運動を推進することなどを目的として制定されています。
北方領土問題を時系列で整理
北方領土をめぐる主な出来事を時系列で整理すると、次のようになります。
| 年 | 主な出来事 |
|---|---|
| 1855年 | 日魯通好条約で択捉島とウルップ島の間に日露国境を確認 |
| 1875年 | 樺太千島交換条約を締結 |
| 1945年 | ソ連が対日参戦し、北方四島を占領 |
| 1951年 | サンフランシスコ平和条約に署名 |
| 1956年 | 日ソ共同宣言により戦争状態を終了し、国交を回復 |
| 1991年 | ソ連崩壊後、ロシアが北方四島の実効支配を継続 |
| 2022年 | ロシアが日本との平和条約交渉を継続しないことなどを発表 |
北方領土問題のポイント
北方領土問題を理解するうえでは、次の点を区別することが重要です。
第一に、北方四島を現在実効支配しているのはロシアです。
第二に、日本政府は北方四島を日本固有の領土と位置づけ、ロシアによる占拠には法的根拠がないとの立場をとっています。
第三に、日本とロシアでは、第二次世界大戦とその戦後処理、北方四島の法的な位置づけについて主張が異なっています。
そして第四に、1956年の日ソ共同宣言によって日ソ間の戦争状態そのものは終了しているものの、第二次世界大戦後の平和条約は現在も締結されていません。
「ロシアが現在支配している」という事実と、「どの国に主権があるのか」という領土問題は分けて理解する必要があります。
まとめ
北方領土とは、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島からなる地域です。
日本政府は北方四島について日本固有の領土であるとの立場をとっていますが、第二次世界大戦末期の1945年にソ連が占領し、現在はロシアが実効支配しています。
日本とロシアは長年にわたり領土問題と平和条約締結について交渉してきました。しかし、両国の主張には大きな隔たりがあり、さらに2022年以降の日露関係悪化によって交渉環境は一段と厳しくなっています。
北方領土問題は、単なる島の所有をめぐる問題ではありません。日本とロシアの国境形成の歴史、第二次世界大戦と戦後処理、平和条約、そして故郷を離れることになった元島民など、さまざまな要素が関係する問題です。
歴史上の条約と現在の実効支配、日本政府とロシア政府それぞれの立場を区別して整理することが、北方領土問題を正しく理解するための第一歩といえるでしょう。

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